日々、男らしさと料理の腕と趣味の写真の上腕がメキメキ開花している神・まめたさん。
全部、普通の食器に自宅での普通のご飯ですが、お店の味に写真は完全に宣材写真です🤣
これはもう魔法だ、魔法。
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少し前、私が色んな不安が重なり、自分とも向き合う勇気も出ず、どうしようも無くなり、その不安をまめたさんやまめたさんの大切な家族のせいにして、まめたさんに理不尽に八つ当たりしてしまいました。
自分でも「何に不安になっていて」「どうしたら気が済む」のかが分からなかった段階だったので、まめたさんにどうしても言いたくなくて黙っていました。
でも、黙っていても「不安」「嫌だ」という気持ちは消せずに、私は”拗ねる”という形でまめたさんにぶつけてしまいました。
大丈夫じゃない「大丈夫」を言い続け、まめたさんの何気ない一言にショックを受けたのにも関わらずそのことも伝えず、自分の気持ちに嘘をつくことしか出来ない自分からも目を背けたまま、まめたさんと距離を置くことも出来ない自分に自分でも困るほどでした。
そんな私の異変にまめたさんが気付かないはずがなく、まめたさんは私の気持ちを何度も聞いてくれます。
「とにかく正直に話して」と。
頑なに言わない私に、私が何に不安で、何に不満で、何が嫌だったのかの理由が分からないまめたさんが本気で困り果てていました。
きっと、どうしてあげたらいいのかが本当に分からなくて、すごくやるせない気持ちでいっぱいだったと思います。
それでも引かずに私の気持ちを聞き出そうとし続けてくれるまめたさんに、私もどんどん甘えて、感情的に拗ねる言葉で八つ当たりをする私。
心の中では「ごめん」って思っているのに、どうしても素直になれない私。
困りながらも一貫して私の気持ちを話すまでとことん向き合って、仲直りの兆しに持って行ってくれたまめたさんの動線をぶっ壊す一言を放ってしまいました。
すると、まめたさんは大きなため息を本気でつきました。
この本気のため息に、本気でヤバい!と感じた私は、ようやく我に返りました。
今まで、散々どんなことも細かく伝えさせてもらっていて、全部を受け止めてくれていたまめたさん。
心のどこかで「私ばっかり細かい希望や要望を言っていて、子どもみたい」と感じている私がいたんです。
頼もしく素敵な人になっていくまめたさんの横で、私は何も出来ない自分があぶり出されたようで惨めだったんです。
こんな情けない話をポツポツとすると、まめたさんは引くどころか安心してくれて、それもまた受け入れてくれました。
まめたさんは本当に凄い人だな⋯と思うのと同時に、「自分に嘘をつき、言わない方が迷惑なんだ⋯」と身をもって学びました。
「何でも話して、何でも言って」
そう、いつもいつも言ってくれていた言葉は社交辞令でも何でもなくて、まめたさんの本当の気持ちだったことを、今更知ったんです。
人の愛情は、奥深くの目に見えないところにあるんだと色々と考えさせられた出来事でした。
私がまめたさんと一緒にいて、不安にもならず安心して笑顔で居られるのは、まめたさんの細やかなたくさんの言動ももちろんありますが、こういう目に見えない深い愛情を本当に持ってくれているからなんだなと思いました。
この人を大切にするにはどうしたらいいだろう?
この視点で考えることが、この頃から増えています。
出会い方も一緒にいる年数も、そんなものは関係なかったんだなって、まめたさんと居るとそう思わせてくれます。
このブログを読んでくれた人が、今一緒に居てくれる人の愛に気付き、愛おしい気持ちになれたらいいなと思います。
ここまで読んでくださり、いつもありがとうございます。
よい日曜日をお過ごしください😊