paruのブログ

感情の秘密基地

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本音を伝えられなかった理由

まめたさんと大きな喧嘩をしていました。

ここでは、私自身のことに焦点を当てて書きます。

私は昔から人の気持ちを優先してしまう癖があります。

 

 

自分の希望を伝えてるつもりでも、それは全て「相手が希望するもの」を先回りして"私(paru)の希望"として無意識に言葉にしていました。

 

 

呼吸するのと同じくらい、私の中では無意識にしてしまう癖です。

 

 

それを相手は気が付くことなく、当然「paruの希望」として受け取ります。

そこには勿論感謝なんてありません。

 

 

私は知らず識らずのうちに、「こんなに私はあなたのためを思って全てを発言して行動してあげてるのに!!!」という悲しみが膨れ上がり、表層意識に出て来る頃には"怒り"として現れていたのです。

 

 

私がそんな癖を染み付かせてしまったのには、いくつか理由がありました。

その中で一番大きな理由がこれでした。

【自分の本音を優先すると相手は悲しむ】

 

これは、幼少期のお母さんへ対して感じていたことでした。

 

 

過保護すぎるお母さん。

何でもかんでも先回りしてくれて、私に全てを注ぎ尽くしてくれました。

 

 

だけどその分、お母さんは自分に余裕が無くなり自己犠牲をしすぎたことで、「私はこんなにズタボロになるまであなたに尽くしている」アピールをし、「私はこんなにあなたを愛してるいるのにあなたに嫌われてしまう可哀想な私」と悲劇のヒロインになったんです。

 

 

私は、その"罪悪感"が幼心にとても重荷でした。

 

実は何でも自分でやってみたかった私。

好奇心が旺盛なのでチャレンジが好きだった私。

いつまでも赤ちゃん扱いをするお母さんから旅立ちたかった私。

 

 

それを伝えたり行動に移そうとすると、不機嫌になったり支配しようとしたり罪悪感を与えたり露骨に悲しんだりするお母さん。

笑顔で応援してくれたことは無かったんです。

 

 

いつしか私はお母さんに了解してもらうために説得をする癖が付いていました。

その度にお母さんは泣きながら「paruの傷付く顔は見たくない」「悲しむ姿は見たくない」と私に訴えるのです。

 

 

それも"愛"なんだと思い、"挑戦したい" "親元を離れたい"という私のワクワクする気持ちを選択することは「親を悲しませることなんだ」と強く深く思い知ることになりました。

 

だから私は、これと同じことをまめたさんにもしていました。

 

 

本当は自分のバランスを保つために、睡眠時間と一人の時間が必要な私。

 

 

私と真反対な恋愛価値観を持っているまめたさんに、私の本当の希望を伝えれば、まめたさんが我慢をし寂しい思いをすることを心のどこかで察していました。

 

 

だから言えなかった。

 

 

やっと言えたは良いけれど、まめたさんを我慢させてまで自分の心の自由を選択した罪悪感で押し潰されそうでした。

 

一人の時間も全然集中出来なかったんです。

 

 

そうするうちに、私の心の余裕は無くなり、いつもしていた心のバランスを取るための、自分の向き合いや心のメンテナンス時間が全く無くなり、まめたさんに対して怒りをぶつけまくりました。

 

 

本当に別れの危機。

 

 

まめたさんも私も、私がいかにして睡眠時間と一人の時間が必要なのかを身を持って痛感した期間でした。

 

これを機に、私は本気で自分の一人の時間を集中することにしました。

まめたさんの問題はまめたさんにしか解決出来ない。

私がまめたさんを可哀想な人に勝手にしていただけで、まめたさんは大丈夫だったんです。

(むしろ、私が我慢して爆発する方が迷惑だったと思います😂)

 

 

「自己犠牲をしてまで」という気持ちほど、迷惑なことは無いんだなと実感させられた期間でした。

 

 

まだまだ私の中にあった、過去の癒えていない感情。ここもゆっくり癒やして行きます🍀